記録のためだと思っていた
デイリーノートを毎日書いているうちに、わかってきたことがある。
これまで、デイリーノートを「記録」のためのものだと思っていた。
その日にあったことを残す。
考えたことを整理する。
やることを確認する。
そういう役割だと思っていた。
もちろん、それも間違ってはいないです。
でも、デイリーノートは単なる記録ではなかった。
あとで読み返すメモというより、その日の自分を本来の位置に戻すための場所でした。
頭の中だけで考えていると、位置を見失う
日々の中で、すぐに頭がいっぱいになる。
仕事のこと。
会社のこと。
これから作りたいもののこと。
収益のこと。
人のこと。
やりたいこと。
やるべきこと。
そういうものが重なってくると、頭の中だけで考えている時間が長くなります。
考えること自体が悪いわけではない。
むしろ仕事をしていれば考える場面は多い。
ただ、考え続けているといつの間にか
自分がどこに立っているのか見えなくなることがある。
不安が先に立つ。
比較が始まる。
足りないものを数え始める。
現実に対して少し前のめりになる。
そういうときに、書く。
書くと霧に輪郭が出てくる
すると頭の中で渦を巻いていたものが少しずつ外に出てくる。
最初から整っていなくていいし、
言葉になってなくてもいい。
むしろまとまっていないからこそ書く意味がある。
頭の中だけにあるときは霧だったものが少し輪郭を持つ。
輪郭が見えると少し落ち着きます。
何に引っかかっていたのか。
どこで力んでいたのか。
本当は何を気にしていたのか。
そういうことがあとから見えてくる。
小さく静かな習慣のほうがじんわり効いてくる
最近、ある動画をきっかけに、自分が続けているこうした習慣の意味をあらためて考えた。
動画で語られていたのは、人生を大きく変える方法は、案外もっと軽くて簡単なものかもしれないという話だった。
難しいことをやらないと変われない。
苦しい思いをしないと前に進めない。
ついそう思いそうだけども、実際にはもっと小さくて静かな行為のほうが
自分を深いところから変えていくようです。
ああ、今やっていることは遠回りではなかったのだなと。
派手ではないけど、ちゃんと意味があったのだと。
デイリーノートは反省帳ではなかった
私にとって、デイリーノートは何かを無理に変えるための道具ではない。
気合いを入れるためのものでもない。
自分を追い込むためのものでもない。
むしろ逆で余計な力を抜くためのものです。
外側に引っ張られて散っていった意識をいったん手元に戻す。
頭の中で暴れている思考を紙の上に置いてみる。
そのうえで、今日は何を感じていたのか、どこに向かいたいのかを確かめる。
そう考えるとデイリーノートは反省帳ではない。
改善点を探すためだけのものでもない。
今日の自分を責めたり、採点したりする場所でもない。
中心点に戻るための、小さな儀式に近い。
いまの自分の位置を取り戻す
ここでいう中心点というのは、何も考えていない空白の状態ではありません。
不安がゼロの状態でもない。
すべてが完璧に整った状態でもない。
あれこれある中でも、いまの自分がどこに立っているかを見失っていない感覚。
現実に飲み込まれずに、ひとまずここに戻って来られる感覚。
私はたぶん、そのために書いています。
書くことで、観測の仕方が変わってくる
最近は、デイリーノートの中で「不足トリガー」や「充足の証拠」という項目を作って書くようにしている。
これはやってみると面白くて、自分が何に反応して崩れやすいのかが見えてくるし、
逆に、すでに整っているものを見つける目も少しずつ育ってくる。
以前、自分にとって整っていることをうまく数えられなかった。
できていないことのほうが先に見えた。
まだ遠いもの、まだ足りないもの、まだ届いていないもの。
そちらばかりを見ていたように思う。
でも毎日書いていると観測の仕方そのものが変わってきます。
今日はここまで進んだ。
こういう姿勢でいられた。
ここは少し静かに選べた。
そういう小さなことが、小さなことではなくなります。
書くことで、現実の見え方が変わる。
これは大げさな表現ではなく、本当にそうだと感じています。
未来を変えるのは実は小さな習慣
未来を変える方法というと何か特別な行動を想像しやすい。
大きな決断や、大胆な挑戦や、劇的な習慣の変更。
もちろんそういうものが必要な場面もある。
けれども日々の基礎を変えていくのは、もっと地味なものだと思うようになった。
一日をどう観測するか。
何を見て、何を数えるか。
どんな言葉で自分を受け取るか。
その微細な違いが、少しずつ世界線を分けていく。
私は今のところ、そう感じている。
少し戻る。少し整う
書くことで、何かが突然うまくいくわけではないし、
一回書いたからといって、すべてが整うわけでもない。
それでも、書かなかった日と比べると違う。
少なくとも自分を見失ったまま一日を終えなくてすむ。
頭の中で不安を育てずにすむ。
その日、自分がどんな方向で生きていたかに気づくことができる。
とても地味だけど、それは今の私にかなり効いている。
最近はデイリーノートを書くことを、何かを成し遂げるための手段として見なくなった。
自分の位置を取り戻すための習慣として見ている。
ちゃんと書けなくていい。
深い気づきがなくてもいい。
それでも書く。
少し戻る。少し整う。
また今日を受け取る。
今のところ、それで十分なのだと思う。
書くことは、前に進むための努力というより、自分の中心点に戻るための習慣。
それが今の結論です。
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